茎わかめコラム

自分たちがつくった製品を日本中の人たちに食べてもらえて嬉しいです

2017.12.29

前回に引き続いて、岩手県大槌町にある壮関の工場取材第2回目をお届けします。今回は、茎わかめをはじめ、昆布製品やするめソーメンなどの製造に従事する社員の月山慶子さんにインタビュー。おいしい茎わかめを作り、それを日本中に届ける仕事のやりがいや楽しさについて伺いました。

株式会社 壮関 大槌工場のエントランス・サイン

◆もっと働きたいという想いと、新工場の建設が重なった

生まれてから60年間、大槌町以外に住んだことがないという月山さん。以前は町内にあった時計組立工場で働いていましたが、工場がなくなってからは家で農業をしていました。

そんな折、壮関が大槌町の復興の一助に新しく工場を建設すると聞いて、「まだまだ働きたい、人の役に立ちたい」との想いからすぐに応募を決めました。

「私のような年齢になると、大槌で働きたいと思っても働き口は多くありません。だから、壮関が震災復興の一助になればと工場をつくり、雇用を生み出してくれたことは本当にありがたいですね。2016年5月に操業を始めて1年半になりますが、下は20代から上は私くらいまで、幅広い年齢層の人たちと一緒に仕事ができて楽しいです。会社へ行きたくないと思った日なんて1日もありませんよ」と、月山さんは笑顔で語ります。

大槌工場 月山 慶子さん

◆大変なこともあるけど、やりがいの方が大きい

大槌工場で働いているのは地元の人ばかり。月山さんの妹さんをはじめ、社員はみんな顔なじみです。マネージャーや同僚も年下ですが、言いたいことははっきりと言い合い、改善すべきところは意見を出し合って、より良い製造環境を創り出していこうという前向きな雰囲気があるので、毎日が充実しているとのこと。

では、仕事で大変なことは?と聞いてみると、やはり年配者にとって1日7時間以上の立ち仕事は体力がいると言います。でも、日によって、さまざまな作業を交代で担当していくので、いろいろな製品づくりに携わることができ、それを日本中の人たちが口にしてくれるのが何よりのやりがいとのことです。

「ここで働く前から、おやつやおつまみとして茎わかめはよく食べていましたが、今では友だちや親戚の集まりなどがあると、茎わかめを持っていって、『おいしいでしょ? だって、私が作っているんだもの』と自信を持って薦めています。私の孫も、『おばあちゃんの作った茎わかめが大好き』なんて可愛いことを言ってくれてホントうれしいですね。」

菅原マネージャーとは仕事の息ピッタリ

◆お昼休みはさながら茎わかめ料理の試食会

大槌町のある三陸地方は昔からワカメの一大収穫地。月山さんをはじめ、みんな子供の頃から毎日食べているので、ワカメを使った料理もたくさん知っています。だから、茎わかめなど壮関の製品を活用したメニューを工夫するのも楽しみのひとつ。工場のお昼休みともなると、「今日はこんな煮物を作ってきたよ」などと言いながら、みんなが持ち寄った茎わかめ料理を試食し合うことも。

「みんないろいろな茎わかめメニューを考えてお弁当に入れてきます。この経験を活かして、新しい商品を開発できたらもっと楽しいでしょうね。いつかやってみたいです」と、抱負を語る月山さんに、前回のコラムで登場した菅原マネージャーもひと言。

「月山さんは貴重な戦力だから90歳まで働いてもらわないとね。クルマの運転ができなくなったら、私が送り迎えするから」と笑います。

こんな和気あいあいとした雰囲気の中、大槌工場で1日に作られる茎わかめ製品の生産量は5〜6トンにもなるというから驚きです。壮関の茎わかめのおいしさの秘密は、ワカメとともに暮らしてきた大槌の人たちの愛情がこもっているところにあるのでしょう。今度、みなさんが茎わかめを口にする時は、ぜひ、大槌工場で働く人たちの顔を思い浮かべてもらえたらうれしいです。

大槌工場に勤める小林 桃菜さん(22)
以前は栃木県にある壮関の本社に勤務していましたが、大槌に工場ができることを知り、震災復興に少しでも貢献したいと思い立って単身移住を決意。現在は町民として町の発展を支えています。

ベルトコンベアを流れる、洗浄された茎わかめ原料

脱塩した原料を脱水して水気を切っていく工程

茎わかめを手作業で袋に入れる最終工程

個包装されたおなじみの茎わかめが次々と出来上がっていきます

製品の最終検査は間違いがないよう目視で行っています。

次回は大槌工場スペシャルレポート第3弾として、大槌町がどのような経緯で壮関の工場を誘致したのかを町長にインタビューします。どうぞお楽しみに。

取材・文:青木一夫